今日というなんてことない日に

今日、私は君と同い年になる。

 

20歳と21歳は何か違うことはありますか?

21歳は楽しいですか?

先輩として何かあれば教えてほしいな。

 

 何故君の誕生日にはブログを上げずに自分の誕生日にブログを上げるのかという疑問には、自分の中での無理せずに応援するという形の結果だと今のところは答えておきたい。

 

 私の人生を語る上で君はとうとうなくてはならない存在になったらしい。私の母親曰く、君は私の中の不動の1位らしい。なんてこった。困ったなぁ。君のことをこんなに好きになる予定ではなかった。こんな拗らせブログを書く予定もなかった。でもどうやら感情というものは管理できないらしい。好きは毎日更新されて、好きは毎日大きくなる。

 

 君がいないと誰かを応援する楽しさも好きという気持ちを友達と共有する楽しさも知ることはなかった。私は君を見つけて楽しいことばかりだ。昨日も楽しかった、今日も楽しい、明日も楽しくなりそうだよ。

 

君のことがこんなにも好きな私だが、君の好きなタイプには全く当てはまらない。 

 君は「何かに打ち込んでいる人、一生懸命な人がいい」と言う。どうやら堕落した生活の人は嫌らしい。さらにどうやら君は年上が好きらしい。

 ここで私を見てみよう。友達から「省エネで生きてるネ」と言われるのが私である。所々では本気を出していると自分では思っていたが、他人に言われたらそうなのかもしれない。思い返せばそういう節ばかりだ。友達はどうやら正解らしい。君の好みに合うように、何かに打ち込もうとするが、今のところ長くは続いていない。次に歳の話だが、私は年上ではない。私が年上ならば君のタイプに当てはまるのに。(いいATMにもなれたはずなのに)私が年下であれば、君が年下から好かれたと喜ぶかもしれないのに。私は同い年である。何の特別性もない。泣きたい。

 見てわかるだろう。全く当てはまってない。

でも君がロングが好きだと言うから私は伸ばしている。自分の長い髪を見るたびに君を思い出す。罪な男だよ、君ってやつは。

 

 君のタイプに当てはまりたくて必死に髪を伸ばす同い年がいることを君は一生知らないままでいてほしい。誕生日にこんなブログを書く人間がいることも一生知らないでいいのだ。それでいい。それが1番いいことだ。

 

 好きという感情は時に残酷である。私は君を好きになったときからある意味失恋しているのだ。私が好きだということが認識されることはない。そして私もそれを望んでいる。

 しかし、君が言うように好きにはたくさん色んな種類があると思う。「好き」の結末が「付き合う」という形だけではないと思う。好きにも色んな形がある。付き合ったり、結婚したりするだけではないはずだ。訳が分からないが、世間的には失恋してても、私の好きはそこで存在してても大丈夫なのだ。

 

 君の紡ぐ言葉が好きで、君の世界が好きである。「もう一生こんなにも好きになれる人が現れない」なんて思わせる君が好きだ。何をしたって好きなんだ。もう自由に生きてほしい。

 

 20年間生きてきて今日から21年目に突入する私だが、楽しいことばかりではなかった。世界の中心は当たり前だが私ではない。大事な場面で勝ったことなんて1度もない。自分の得意だと思ってたこともあっさりと友達に負けるのだ。口先だけで何もしない、モブキャラ中のモブキャラだ。私は死ぬのは怖いから何となく生きてるだけかもしれない。

 それでもきっと今日も明日も明後日も君が生きてアイドルをしてる世界で私は君を好きだと思いながら生きていく。君と同じ世界で生きれて私は嬉しい。

 待て待て待て。なんでこんなに私は重いのか。びっくりだ。こんなの家族にも友達にも見せられないよ。でもブログは書くという矛盾はブラックホールに置いておく。(?)

 まぁ小レポートくらいの文字数を書いて私が言いたいことは君が好きで君に感謝してるということだ。

 

 

 そうそう!最後に!!これを言わせてくれ!

 

 君とは遠い世界で、

 君が永遠に知ることのない私は

 今日、君と同い年になりました。

 

P.S

 君が「僕のファンってこんなにすごいんだよ!」と言えるくらいの存在になれるよう生きていこうとは思っています。